缶詰の常套句

万年筆とか写真とか。

田舎を田舎と名指す前に

 6月の始めに愛媛と高知の県境に近いど田舎に逃避行をしていたのだが、帰ってきた直後から心底リフレッシュしたような気持ちになっている。旅行中は、田舎は逃げ場がなくて息苦しいと感じ続けていたのではなかったか。
友人が住んでいたので訪ねていった。電車はあるが、不便だからと車で連れ回してもらった。出会う人は大体知り合いで、匿名になれる場所は道の駅のベンチぐらいしかない。もしかすると一人で動かなかったから息苦しかっただけかもしれない。ひっそりと海を眺められる場所や、夕方まで本を読んでいられる図書館だって、あるにはあるのだから。
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 宇和島も、松野町も、観光地らしいところに人が少なくて居心地が良かった。観光協会が喧伝している段々畑は、畑であるのに炭鉱のような労働の雰囲気があり、眼下には真珠を育てている海が見える。松野の方に棚田もあって、海と山のそのまま繋がっている地域の昔の苦労が思われる。
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 道の駅には小さな水族館があるのだが、これはちょっとトーンを変えて別の記事に書いた方が良いだろう。鹿肉ソーセージも、手揉み茶もほうじ茶も絶妙に美味い。
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 何の準備も無かったので撮影結果は惨憺たるものだったが、夜は蛍を見た。初めての蛍狩りには数が多すぎて、まるで宇宙人でも来たような感じだ。明滅するUFOのイメージは案外こんなところから来ているのかもしれない。
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 車で暫く走ると高知県に入る。四万十川には各所に沈下橋があって、欄干のないところを歩きながら軽トラとすれ違うのはなかなかのものだ。何年もしていなかった水切りをやって清流の水面を乱してから、今年の鮎を食べた。よくある塩まみれの塩焼きではなくて、鮎の味。
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 それから愛南町まで足を伸ばし、魚市場の食堂で鯛を食べた。運ばれてきた途端、蝿がテーブルに群がり始める。刺し身は新鮮な死肉なのだと実感する。
 山奥の温泉に行きたかったが、帰りの時間が近づいていたので断念して宇和島に戻った。宇和島から松山までは特急列車が出ていて、ディーゼルで動いているのだという。だから地元の人は電車とは言わず、汽車と呼ぶのだそうだ。